感動の機会損失

「ゲームもアニメも漫画も食指が伸びなくなった」という社会人ヲタクを多々見掛ける。

自分も近い存在になり掛けていた。

結論から言うと「懐古の引き出しを増やすためにアニメを観る」という認識を持ち始めた。

 

学生時代、ニコ動の黎明期真っ只中。狂ったように漫画を買い、アニメを観て、ゲームをしていた。一人暮らしをするようになってから財布の紐が徹底的に固くなった。同時にアニメを観る気力も減った。

転職・婚活もそろそろ?なんてボーッと考えながら、20代程度のキャリアと収入じゃ何も前に進めず、仕事に専念していかに「ミスをしない普通の人間」を目指し上長の信頼を得るかが生きがいになりつつある。

 

そんなときに始まったコロナ禍。自宅待機令が出た一週目は自宅でslackを起動し、命令を待ちつつ私物のimacでネサフをしていた。TVは無い。

youtubeでジャズを調べていて、ふとオススメに表示されたMV。”夜に駆ける”という曲らしい。

凝っていた。少し音数の多さからボカロっぽさがあり、ハイテンポで聴きやすい曲で。最近の曲いいじゃんと。

そこから他はどうだろうと、オススメ欄から一気にここ8年分ぐらいのボカロやpopsを遡った。

 

そうして色々聴いているうちに、決定的な後悔を感じ取った。

「5年前に大流行していたであろうpopsやボカロ曲を知っていれば、当時の熱狂を体感出来ていたのではないだろうか。」

そして5年後にこのMVを再度見て、「当時の盛り上がりは凄かったなぁ」と思えるのではないか。

1度も見ていないことで2回分以上の感動の機会損失をするのだろうと。

 

これは曲に限らない。アニメ・漫画・ゲーム、ドラマもあてはまる。

チェンソーマン・ラブライブ進撃の巨人半沢直樹、鬼滅。なんでも。

今から見ることだって出来る。Amazonプライムなどサービスは多々ある。

だが今から見ても熱狂はそこには無く、ネット上にて、二次創作という感動の残滓を流し見る行為しか出来ない。一世風靡を感じ得られず、感動はやや薄れる。

 

10年・20年後の自分。死んだ食指で何も楽しめず、懐古するコンテンツも無く、全ての世代の話題から孤立する。

これは非常につまらない人生になりそうだと。

今期はとりあえず、食わず嫌いをせずに片っ端からアニメを見ることにした。GL・BL、なんでも。アニメならdアニメストアに入っているからハードルは低いぞ、と。

結果として魔法科高校の劣等生はストーリーが緻密で面白い作品だと知り、ラブライブは量産型アイドルコンテンツなどではなく、丁寧に作られている作品だと知った。

 

 ゲームはファイアーエムブレム風花雪月をプレイ。著名なFEシリーズ。

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男女に支持されるこの作品は二次創作やイラストの数も多い。ツイッターのTL上でまぁまぁ見掛ける二次創作が理解出来るようになり、一気にネサフで楽しめる要素が増えた。

 

そうして緊急事態宣言から半年、段々と身の変化を感じた。

色々なコンテンツを楽しもうと思い始めてから今日に至るまで触れた作品、7割ぐらいが「及第点以上で面白い」と感じるようになっていた。

ずっと長いこと著名コンテンツに触れていなかったせいで全てが新鮮に感じ、面白いと思えてしまう。

おそらくだが、学生から社会人にステータスが変化し、就活という不安の解消・生活の安定が得られたことにより、斜に構えてプライドや体裁を取り繕う必要が無くなったことから、粗探しをする感性が薄れたのかもしれない。その変化を認知出来なかった。

あるいは、体力が無くなり、批判する気力すら沸かなくなったのかもしれない。

もともと批判文を見掛けるだけでこっちまで心が沈む性質なので、ストレスの発生源から距離を取りたいし、そうはなりたくないと、無意識下で不出来な要素から目を背けているのかもしれない。歌ってみたのボイスのピッチがズレているとか。指摘したところで得るものが無いし、もはやどうでもいい。

ともあれ、ダラダラとゲーム実況を見ていた時間をもう少し、日本のポップカルチャー群に割いてみたいと思う。